生活保護法の改悪に反対する研究者の共同声明

先の国会で廃案となった生活保護法改正案が今国会に提出された。この法案は、不正受給を防ぐためと称し、第1に、生活保護申請時に所定の申請書と資産・収入・扶養の状況などに関する書類の提出を義務づけると共に、第2に、親族の扶養義務を生活保護の事実上の前提要件としている。 これは自由で民主的な社会の基盤であるセーフティーネットとしての生活保護を脅かすものであって、私たちはけっして許すことはできない。
 第1の問題点については、悪名高い「水際作戦」による門前払いを合法化するものだとの指摘を受けて、先の国会では「特別の事情があるときはこの限りではない」と修正された。しかし、「特別の事情」を判断するのはこれまで「水際作戦」を進めてきたような行政の窓口である。政府は「運用はこれまで通り」「申請の意思があれば受理しなければならない」とし、「門前払いにならないように各自治体に通知する」と言っている。だが、「特別の事情があるときはこの限りではない」と認めたとしても、書類提出が原則となれば、申請にたいする門前払いが横行するのは目に見えている。
 「運用はこれまで通り」であるならば、口頭申請も可能であることが法文に明記されるべきである。そもそも、このようは書類の提出は申請の後で済むことであり、裁判判例も申請は口頭でよいことを認めている。ギリギリの生活を迫られている人たちには、保護申請すること自体を簡素化し容易にすることこそが切実に求められる。これはまた、第50会期国連社会権規約委員会も我が国に対して勧告していることである。
 第2の問題点については、まったく修正されていない。親族への通知を義務付ける条文や、親族の収入や資産の状況の報告を親族本人はもとより金融機関や雇い主などにも求めるという条文が新設されている。親族関係は多様である。夫への通知・調査を怖れるDV被害者だけでなく、親族に「迷惑がかかる」ことから申請をためらう人は現在でも少なくない。法改正によって、一層多くの人が親族に迷惑をかけたくないという理由から生活保護の利用を断念することになる。親族に「共助」を厳しく求めることは国の責任転嫁に他ならない。

 この他にも、法案は、ジェネリック医薬品の使用義務づけ、保護受給者の生活上の責務、保護金品からの不正受給徴収金の徴収を定めている。保護受給と引き換えに生活困窮者にこのような責務を課すことは、性悪説に立って保護受給者を貶め、その尊厳を著しく傷つけるものである。
 以上、この改正案は全体として生活保護を権利ではなく「恩恵」「施し」として生活困窮者とその親族に恥と屈辱感を与え、劣等者の烙印を押し、社会的に分断排除するものといわねばならない。
 生活困窮者は少数であり、常に声を上げにくい当事者である。しかし、セーフティーネットは、現に生活に困窮している人々を救うためだけの制度ではない。それは自由な社会のなかで生きる人々が、様々なリスクを抱えつつも、幸福な暮らしを安心して追求していくことができるための必須の条件である。セーフティーネットを切り縮めることは、自由で民主的な社会の基盤を掘り崩すものといわざるを得ない。これは生活困窮者だけの問題ではなく総ての人々の生存権に対する深刻な攻撃である。
 このような問題点をもつ生活保護法改正に私たちは強く反対するものである。
以上、声明する。
声明へ賛同される研究者の方は、お名前と共に、所属・専門などご自身をidentifyする事項を添えて、以下にご連絡下さい:

Eメール sos25.2013@gmail.com

ファックス 03-5842-6460


2013年6月18日火曜日

生活保護法改正と憲法改正論に通底するもの(笹沼弘志)

5月10日に自民が生活保護法改正案を了承したようだ。

「不正受給」や「不適正受給」を取り締まることが主眼らしい。「不適正」というのは違法ではないが我が党としては許し難いということだろう。そんなことを法律に盛り込もうというのだから、とんでもない代物だ。はっきりと「不正」と言えないことでも取り締まれる魔法の法律。

その魔法はどんな仕掛けかというと、例えば保護の要件や優先に関する4条1項や2項をそのまま残しながら、つまり扶養を要件としないまま次のような規定を盛り込むというもの。
・まず申請書に資産や(能力活用に関わる)収入とともに扶養義務者の状況等について記載を義務づける。
・そして、29条で要保護者本人の資産能力活用状況だけでなく、扶養義務者の資産や収入について同等の調査権限を設ける。

 つまり、要件事項も優先事項も一緒に扱うと言うことだ。4条を残しながら実務的には優先事項の扶養を要件に等しいものとして扱うということ。これは4条1,2項違反に他ならない。

この魔法の法案にはもっと不思議な規定もある。
現行法では住居喪失者も当然ながら保護申請できるし、保護実施機関も保護を為すべき義務を有する(19条1項2号)。しかし、自民法案では、24条申請書に住所又は居所を記載することが義務づけられた。他方、居住地がないものへの保護実施責任(19条1項2号)についてはまったく改訂なし。野宿場所も住所あるいは居所だというのだろうか。

小手先の改訂で保護受給権を制限使用という浅知恵で作ったからだろう、いろんな不備が見える。そもそも生活保護法とは何であり、何のために作られたのか。まず憲法が生活保護法を作ることを立法府に義務づけているからである。それを作るとしたらどのようなものでなければならないか、憲法はそのようなことをも要請している。

「健康の文化的な最低限度の生活」といえるだけの水準の給付を平等に行うとすればどのような仕組み、手続を必要とするのか、よくよく考えられて作られたのが生活保護法だ。

平等といっても一律平等な額を給付すれば良いというものではない。保護を必要としている生活困窮者のまさに「必要」に応じて異なるものを給付しつつ、なおかつそれが平等だといえねばならない。「必要」を把握し、必要に応じた給付を行うためには機械的当てはめではなくケースワークが必要である。しかし、そうすると権利の平等な保障が害される危険がある。だから申請、決定、争訟にいたる手続的保障が必要である。すべての人に平等に保障されるべき幸福追求権を保護受給者が無根拠に制限されてはならないのは当然である。

今回に限らず、生活保護法改正についてはいろんな立場の人から意見が出されてきたが、そもそも現行法がこのような憲法上の要請に従った原理と構造を有しているのだということを意識して論じたことがあったのだろうか。法律だから安易にいじれるのだという立法裁量原理主義をこそ叩く必要がある。改正手続改正による「憲法の法律化」、立法裁量原理主義の憲法化が目論まれている現在だからこそ。

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